大学で研究を行った経験がある方は,そのほとんどが教授から指導を受けていたのではないでしょうか.
そして,その教授のほとんどが40代後半から50代だと思います.
ちなみに,令和元年度の旧帝国大学の全教授の平均年齢は55歳です.
現在の教授になるまでのプロセスとしては,博士の学位を取得し助教→准教授→教授と昇進していく場合がほとんどです.
博士の学位を取得するのは,一般的には26, 27歳です.それから助教にすぐになれる場合もありますが,ポスドク研究員と呼ばれる任期付研究員を経ることも多々あります.
そのような理由から,博士学位の取得後,教授になるまでには約20年ほどかかることになります.
では,日本で最も早く教授になった人物は誰なのでしょうか.
調査をしてみました.
日本で非常に早く教授になった人物
菊池大麓きくちだいろく – 22歳 – 旧東京大学
菊池大麓は元東京帝国大学教授であり,日本の数学者,理学博士です.
1855年に東京都に生まれ,1917年に62歳で亡くなりました.
菊池大麓は,東京大学の前身となる蕃書調所で英語を学び,1867年と1870年の2度に渡り英国に留学しました.
1870年の2度目の留学で,ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学と物理学を学び学位を取得しました.
ちなみに彼は,ケンブリッジ大学を卒業した初めての日本人留学生となりました.
帰国後の1877年(22歳)で旧東京大学理学部の教授となりました.
ちなみに,東京大学は,名称を東京大学→帝国大学→東京帝国大学→東京大学と変更しているため,初期の名称を旧東京大学としました.
その後,東京大学大学総長,学習院院長,京都帝国大学総長,理化学研究所初代所長等を歴任し,1902年(25歳)には男爵を授爵されました.
高木貞治たかぎていじ – 29歳 – 東京帝国大学
高木貞治は元東京帝国大学教授であり,日本の数学者,理学博士です.
第1回フィールズ賞選考委員,1940年文化勲章受章,1951年文化功労者など華々しい経歴を経ています.
1875年に岐阜県に生まれ,1960年に84歳で亡くなりました.
高木貞治は,1898年(23歳)に東京帝国大学を卒業し,ドイツへ留学します.
その後,1900年(25歳)に東京帝国大学の助教授になり,1903年(28歳)に博士学位を取得,1904年(29歳)に東京帝国大学の教授となりました.
武部貴則たけべたかのり – 31歳 – 横浜市立大学
武部貴則は横浜東京医科歯科大学教授,横浜市立大学特別教授であり,日本の医学者,医学博士です.
1986年に神奈川県で生まれました.
iPS細胞を用いてミニ肝臓を作るなど,国際的に非常に注目度の高い研究を行なっている研究者です.
2011年に横浜市立大学で学位を取得し,2018年(31歳)で横浜市立大学の教授に就任しました.
書籍も執筆されています.
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世界で非常に早く教授になった人物
Colin Maclaurinコリンマクローリン – 19歳 – アバディーン大学
Colin Maclaurinは元アバディーン大学マーシャル・カレッジ教授であり,スコットランドの数学者です.
理系の出身者であれば,彼の名前を冠したマクローリン展開というのを聞いたことがあると思います.
1698年にスコットランドで生まれ,11歳で大学に入学します.
そして,その後1717年(19歳)でアバディーン大学の教授になりました.
Alia Saburアリアサバ – 18歳 – 建国大
Alia Saburhは建国大教授であり,アメリカの材料科学者です.(現在の所属は不明)
1989年,アメリカのニューヨークで生まれ,10歳でストーニーブルック大学に進学します.
2008年(18歳)の時に彼女は南ソウルの建国大学の国際教授の地位に任命されました.
また,同年6月より建国大学の先端技術融合学部での職位を得ましたがが,契約を更新することなく、2009年初めに故郷のニューヨークに戻ることになりました.
以後どのような生活を送っているのかはわかりません.
まとめ
今回は,日本や世界で最も早く教授になった人物を独自調査しました.
日本では,菊池大麓が22歳で教授になっており,世界ではAlia Saburhが18歳という若さで教授になっています.
日本の場合は,昔と今で大学教員になるための制度は大きく変わっているため,今と昔をくらべるのは難しいですが,過去も含めると驚きの22歳という若さで教授になっている人物が見つかりました.
また,インターネットに情報が出ていない教授であれば,もっと早く教授になった人がいる可能性もあります.
あくまでも独自調査としてご理解くださいね.
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